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こんにちは、と少年は教室の隅にいる少女に声をかけた。
高校三年生ということもあり、落ち着いた雰囲気で桜のさざめきが浮き立つほどに静かだった。
長く黒い髪に学校指定のセーラー。しかし、それは昔のセーラーだった。そして、床についているはずの足は、なかった。
窓の外を眺める彼女が少年の方向を見やる。
「一年ぶりですね」
「そうね」
感慨もなく、淡々と彼女は言葉を紡ぐ。
少年は扉にもたれかかって、目をつむる。
前に彼女を見たのは丁度一年前。少年が二年生になってすぐの時だった。
その日は始業式で、春休みにクラスメイトと会えなかったこともあり少し早めに学校へと向かったのだ。
それはそれは早い時間で、教室には誰もいなかった。
その時に見つけたのだ。教室の片隅にいる人影を。落胆した気持ちが高揚感へと変わる。しかし、よく見ると、その顔は見知った顔ではなかった。
『誰……』
それが、第一声。
「桜を見に来たんですか?」
「それしかないじゃない。それに、見に来たんじゃない。来させられたの」
彼女はふてくされたように言う。からかわれていることが分かっているからだ。
此処にいる理由は一年前に話した。
『幽霊ですか』
『そうね』
少年は大して驚いていなかった。
学校に幽霊が出るという噂はどの学校にもあるものだ。むしろ、興味が湧いた。
心霊現象なんて滅多に見れるものではないから、というのもあったが、それ以上に彼女が綺麗だったから。
陰りのさした片隅に春の日差しが舞い込み、桜の影を映し出す。透けている彼女に桜の色が溶けこんで、頬が色づいているようにも見える。
春の陽気につられて出てきたのかと、呑気なことを考えていた。
『どうしてここに』
『桜に呼ばれた。それだけ』
『へぇ』
それ以上は追求しなかった。知ったのは桜に呼ばれたこととこの日にしか学校には来ないということだけ。
名前も聞かなかった、クラスメイトがくるまでの間他愛の無いことを話しただけだ。彼女はいつも声色も口調も変えなかったけれど、それでよかった。
「今年も早いわね」
「もう最後ですから」
「……そう」
次に桜が咲くころにはもう、少年は学校には来ない。
卒業して、別の場所へと移るのだ。
沈黙の意味は何だったのか。それを問うよしもないけれど、きっと寂しいのだろうと、少年は勝手に思う。
彼女も桜と同じなのだ、とまた勝手に思った。
「まだ来ないでしょうけど、“こっち”に来たら、見に来なさいよね」
「はい」
にっこり、と少年は笑う。彼女の声はとても平坦だったけれど、表情が柔らかくなっているような気がした。
「おはよ、早いな」
「皆に会いたかったんだよ」
背中をとん、と叩くのは同級生。
同級生につられるように席に着き、会話を交わす。
去年は、クラスメイトが来たら彼女のことは見ていなかった。
何故なら、皆には見えていなかったから。不可思議なことを言わない方が目立たない、どう彼は思ったのだ。
しかし、今年はどうも違った。ホームルームが終わっても、休み時間も、視界の隅に映る彼女の姿。
片隅にいる彼女の背中は哀愁を帯びていて、明るい桜の色がひどく残酷に見えてしまった。
桜は見えるのに、彼女は見えていない。
美しいと称されるのは桜だけ、皆、彼女のことなど見ていないのだ。
「お花見する?」
「は?」
唐突に同級生が言った。昼ご飯の時で一緒に食べていた仲間内からいいね、と声があがる。
「何でいきなり」
「いや、お前、窓の外ばっか見てるからよー。桜見たいの?」
窓の外には桜。実際は教室の片隅を見ていただけなのだけれど。
同級生につられて少年は窓の外を、教室の片隅を見た。
相変わらず少女は窓の外を見ていて、窓の外に咲く桜は美しくて。開け放たれた窓から風が吹き込み、桜の花を散らせ、少女の髪はなびく。
花弁と合わさる艶やかな髪。隙間から覗く少し桜色に染まった肌。
──美しかった。言葉が一瞬奪われて、一瞬、時間が止まってしまったようだった。
「おい」
「あ、ごめん……」
「今週の日曜な」
「あ、うん」
どうやら勝手に話が進んでいたようで、お花見は日曜日になったようだ。
ふと思う。お花見の時は、当然、彼女はいないのだろうな、と。
「帰らなかったの」
「今日で最後だから」
夕暮れ色に染まった教室に、少年と少女が二人きり。
少年は同級生たちの誘いを断って教室に残った。理由は明白だろう。
彼女と会えるのは今日で最後。彼女と、桜を見るのも、最後。
「今度の日曜日、お花見に行くんだ」
「そう」
「君はいないんだね」
「当たり前じゃない。何も好き好んで桜を見ているわけじゃないわ」
「……そうだね」
彼女は桜に呼ばれている。
寂しがり屋な桜のために、一瞬の花弁を見るものとして。そこに桜が咲いていたという事実を裏付けるために、彼女は此処にいる。
彼女がこの学校で亡くなってから、次の春。入学式の日に、彼女は呼ばれていた。
ずっと独りで寂しかった、誰かに見ていてもらいたかった。
一瞬の命であるから、時間は一日だけでいいと。刻々と舞いゆく花びらにとってはそれで充分だったのだ。
ふてくされた様子の彼女だが、美しい桜を見ることは全く苦ではなく、むしろ嬉しそうにも見えた。
彼女も、寂しかったのだろう。
「寂しいね」
「……そう、ね」
「あ、素直になった」
「うるさいわね。寂しかったら、呼びないさいよ」
「え?」
ぼそりと彼女は呟いた。
「呼びなさいって言ってるの。私、呼ばれたら行くから」
「え、そうなの?」
「そうよ。桜が呼ぶから此処にこれるの。だったら、桜以外でも大丈夫よ」
その根拠は何処から来るのだろう。おかしくて、少年はくすりと笑う。
何よ、とぶっきらぼうに返す少女。
大人びた雰囲気なものだから、性格も大人しいと思っていたが、そうでもないようだ。
「だから、最後だなんて、言わないでよ……」
声が震えていた。唇をかみしめ、瞳はうるみ、スカートの裾を掴む。
「分かったよ。今度のお花見の時、呼ぶから名前、教えてくれる?」
「呼んでよね」
「うん」
にっこりと少年は笑う。
そして、少女は名前を告げた。
次に出会う時は別の場所で。
桜が咲く場所で。
だけど、それは最後の逢瀬ではない。
「──」
彼女の名前が教室にそっと響いた。
はらりと舞う桜に似合う名前だった。
もう独りではない。名前を呼んでくれる彼がいる限り、彼女は寂しい思いをしないだろう。
終