>> 不死身の男と人食い少女 > site index


 金色のウェーブがかった髪に、白磁器の肌、瞳は鉄のように銀色に輝いている。その少女は男に問う。鋭い牙が生えた口で、男の首筋に噛みつかんとばかり に、大きな口で。

「魂は食べられないの?」
「食べられないな」
「どうして」
「目に見えないからだよ」
「でも、貴方は私に、『俺に魂はない』って言ったわ」

 だから、魂は目に見えるのでしょう。と少女は言う。
 そうだなぁ、と間延びした口調で男は答える。その後も少女は問いかけを止めなかったけれど、男は何も答えなかった。
 薄暗い部屋に差し込む太陽の光に少しばかり目を細めながら、一つため息を落とすだけ。

 二人は人目につかない森の奥で暮らしていた。昔人間が住んでいた屋敷で。人間の手入れが行き届いていないその屋敷は床が抜け落ちていたり、窓にガラスが なかったりと、ひどい有様だが二人には関係のないことだった。
 どちらも悠久の時を過ごす生き物。住む場所が良くても悪くても生きていけるのだから。
 少女と出会ったのはとてもとても昔のこと。十年はとっくに過ぎているだろう。けれど少女の容姿は変わらないし、男の容姿にも変わりはなかった。
 少女は不死身ではないけれど、それでも人よりは遥に長く生きる生き物だから。
 少女との出会いは衝撃的だった。街で暴れる人食い少女、その時はそう騒がれていた。呼び名の通り少女は血肉を求めてあらゆる人に牙を向けていた。
 たとえ白磁器の肌が紅に染まったとしても、少女は人の肉に牙をつきたてることを止めない。死者は何人も出た、少女を止めようとするものも何人もいた。け れど、それは全て無駄だった。
 人間と少女では筋力に差があり、何よりも鋭い牙が人間にとっては恐ろしい武器だったから。
 そこに通りかかったのが男だった。少女に出会うまでは定住することなく、様々な街を歩き渡っていた。
 そして、少女と出会う。
 小さな少女が大柄な男に飛びかかり、首筋に牙をたてる。
 しかし男の表情はいたって普通だった。苦痛の色もない、呻き声もあげない。
 誰もがおかしいと、感じた。それは少女も同じだった。

『気がすんだら、離せよ』
『貴方……人じゃない』

 そうだよ、と男は静かに言う。
 首筋にたてていた牙を抜き、少女は男を見上げた。
 榛色の瞳は落ち着いていて、父親のような包容力を思わせた。

『人が食べたいのなら俺を食べればいい』
『どうして』
『俺は不死身だから』

 周囲に不審の声があがる。少女以上に不気味だと、異端のものだと、この男も始末してしまえという声もあった。
 不死身だと言っているのに、と男は呆れるばかり。少女はそうじゃない、と声を荒げたが男にかつがれて、反抗が出来なかった。
 そうして、今の暮らしに至る。

「貴方はどうして、私に肉を食べさせてくれるの」
「お前が食べたがっているから」
「不死身でも痛いでしょ。私にそこまでする意味が分からないの」
「お前には言えないな」
「……そうなの」

 おや、と男は拍子抜けする。いつもなら苛烈な言葉を並べるのに。今日は大人しいものだ。
 男の真意が分かったのだろうか。

「もし私が、貴方以外の人を食べると言ったら」
「俺はお前を止めるよ」
「どうして」
「それも、言えないな」

 決して男は適当にあしらっているわけではない。榛色の瞳には光がさし、牙のように鋭い眼光で少女を見つめている。銀色の瞳で少女は見つめ返すがそれ以上 言葉は帰って来そうにはなかった。
 握った手のひらに爪が食い込み血が滲む。手が真紅に染まろうとも、痛みが自分を襲ってもそれは少女にとって些細な問題だ。

「私は貴方の魂も食べてしまいたいの」
「それは無理だ。俺に魂はない」

 いつか問うた答えと同じ。迷いの無い、真っすぐとした言葉だった。
 それでも少女は諦めることができなかった。何十年経っても。いや、多くの年月が流れたからこそ思うことだった。
 男の関心は少女よりも人間に向いていた。自分だけを食べろと言うのは、人間に傷を負わせないため。
 魂がないと言うのは、愛した女性に、魂を渡したから。

 それでも、男の血肉よりも、男の魂が、男の──想いが欲しかった。

「私に貴方を頂戴。肉片じゃない、魂を」
「無理だって言ってるだろ」

 この答えはいつまでも続くだろう。少女は男の手を持ち上げると、それを唇へと近づける。鋭く伸びた牙を男の指に突き立てる。ぶつりと肉が切れる音がし た。口内に広がる血の味にはもう慣れたものだ。第一関節から上が無くなってしまったが、すぐに再生するのだろう。
 再生される体を見ていつも思う。この男の体は不変のものでどの時代にも変わらずにあるもの。
世界にただ誰のためでもなく存在し、そこに意思や思いはないのだと。
 男の存在は曖昧なものなのだと。

「こうやって体の一部がなくなっても、貴方は何も言わない」
「慣れたことだ」
「そういうことじゃない! 貴方は、自己犠牲の塊よ……! 私に縛りつけられて、弱い人間の味方をして! 永遠を生きるのに、魂さえも人間に渡して!!」

 刺のように痛みのある言葉が少女から飛んでくる。
男は言葉の通り魂がない。
 何故なら、魂は愛した女性に捧げたから。
 男は不死身であるが故に、永遠を持てあましていた。何に関心を持ってもいずれは廃れてしまう。それがたまらなく嫌いだった。だから、時代は廃れるけれ ど、減ることのない人間に興味を持った。
 愚直で脆弱な人間、それでも有限の時間を必死に生きようとしている姿が、美しかった。
 有限だからこそ、その時間を精一杯に生き、誰もが一人を強く愛し続けた。
 それがとても、人間らしいと。自分にはない感情に強く惹かれた。
 そういった中で、男は一人の女性に出会う。
 男はきっとこの女性を永遠に愛し続けるだろうと思った。
 けれど女性は人間で、永遠を生きる男にとっては少しの時間しか連れ添えなかった。愛せる時間も男にとっては一瞬だった。
 だから魂を渡したのだ。
 魂だけは変わることのないもの、世界を循環してまた別のものに産まれ変わるもの。それは永遠に等しい。男の魂を女性に渡し、姿かたちは違うけれども一緒 にいようと。
 ──想いは、永遠だと。

「お前は賢い」
「どれだけ一緒にいると思っているの。分からないほうが馬鹿だわ」
「言ったら、お前が悲しむと思った」
「貴方は馬鹿よ……」

 銀色の瞳から大粒の涙が溢れる。白磁器の肌を伝い、血がついた口周りへと。赤色の滴が男の手へと零れ落ちて、男は涙を拭ってやる。

「ごめんな。俺はお前に感情を抱けない。魂はあいつだけのものだ。だから、魂は食べさせてやれない」

 その言葉に少女は何も返さなかった。
 銀色の瞳は鈍く光り、男を見つめている。少女は男の首筋に牙をたてる。
 肌が裂かれ血が溢れる。それでも男は苦痛に顔をゆがめないし、声もあげない。
 死にもしない。

「貴方が、死ねばいいのに」
「……ごめんな」

 永遠に、この男を想い続け、永遠に、男の想いは手に入らない。
 この苦しさも、永遠だと、男の脈打つ首筋にまた牙をたてて、思うのだった。


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